世界史過去問解説(2020年度 関西学院大学 個別日程(経済・人間福祉・国際) 大問Ⅱ プロイセン王国の歴史)

はい、どうもです。

 

 

ここでは過去問の解説を大問ごとにまとめております。

 

今回は、

2020年度 関西学院大学 個別日程(経済・人間福祉・国際) 

世界史 大問Ⅱ プロイセン王国の歴史

の解説を行います。それでは見ていきましょう。

 

 

 

大問Ⅱ プロイセン王国の歴史

ドイツ騎士団に関する記述でないものはどれか。

a アッコンで結成された。

b バルト海沿岸に領地を持った。

c 赤十字入りの白衣を着用した。

d スラヴ人キリスト教化を進めた。

解説 記述でないものはc

ドイツ騎士団が着用したのは黒十字入りの白衣。相当難しい。ドイツ騎士団は、第3回十字軍の時にアッコンで組織された騎士団。13世紀からはエルベ川以東の植民活動も行い、騎士団領はのちのプロイセンの母体となった。

 

②フリードリヒ2世に関する記述として、誤りを含むものはどれか。

a オーストリア継承戦争に介入し、シュレジェンを獲得した。

b 七年戦争ではフランスと協力したオーストリアに対抗し、イギリスの協力を得た。

c 啓蒙思想家のヴォルテールと親交を結んだ。

d ミュンヘンにサンスーシ宮殿を建てた。

解説 誤りはd

サンスーシ宮殿は、プロイセンのフリードリヒ2世がポツダムに建てたロココ様式の宮殿。

 

➂ドイツ関税同盟の成立に大きな影響を与えた経済学者は誰か。

a リスト

b アダム=スミス

c リカード

d マルサス

解説 正解はa

リストはドイツの経済学者で、自由貿易を批判し保護関税政策を主張、ドイツ関税同盟結成に貢献した。アダム=スミス・リカードマルサスはいずれもイギリスの古典派経済学者。

 

④フランクフルト国民議会に関する記述として、誤りを含むものはどれか。

a 各邦から選ばれた議員の多くは自由主義者であった。

b 大ドイツ主義の主張する統一地域には、ベーメンを含んだ。

c 大ドイツ主義による立憲君主政の憲法が作成された。

d プロイセン王をドイツ皇帝に推薦し、王の拒否にあった。

解説 誤りはc

フランクフルト国民議会は、ドイツでは初めての立法議会で、その議員の多くは自由主義的な官吏・学者・市民であった。この会議では、小ドイツ主義(=オーストリアを除いてプロイセン中心にドイツ統一を目指す)的なドイツ帝国憲法を採択したが、プロイセン王が帝位を拒否したため、国民主導のドイツ統一は失敗。なお、大ドイツ主義はオーストリア内のドイツ人地域とベーメン(ボヘミア)を含んで統一を目指す方式。

 

ビスマルクドイツ帝国時代に行った政策でないものはどれか。

a 社会主義者鎮圧法の制定

b 3B政策の推進

c ロシアとの再保障条約締結

d 保護関税法の制定

解説 誤りはb

3B政策は、宰相ビスマルクがヴィルヘルム2世によって辞任させられた後、ヴィルヘルム2世が中東・インド洋進出を目指したドイツ帝国主義政策。3Bとはベルリン・ビザンティウムバグダードの3都市の事。ヴィルヘルム2世はロシアとの再保障条約の更新も拒否した結果、ロシアとの関係も悪化させた。

 

プロイセン=オーストリア戦争に関する記述として、誤りを含むものはどれか。

a スウェーデンシュレスヴィヒ・ホルシュタインをめぐる両国の対立から始まった。

b 南ドイツ諸邦はオーストリア側についた。

c プラハ条約で終結し、小ドイツ主義が優勢となった。

d 戦争の結果、ウィーン会議で成立したドイツ連邦は解体した。

解説 誤りはa

シュレスヴィヒ・ホルシュタインデンマークの地域。デンマーク戦争の結果、シュレスヴィヒはプロイセンホルシュタインオーストリアに分割管理されたが、その管理問題をきっかけに、プロイセンオーストリア戦争が起こる。プロイセンの圧勝に終わり、プラハ条約が結ばれ、小ドイツ主義(=オーストリアを除いてプロイセン中心にドイツ統一を目指す)に基づく統一が優勢となった。

 

北ドイツ連邦に含まれない地域はどれか。

a ハノーヴァー

b ザクセン

c ウェストファリア

d バイエルン

解説 含まれない地域はd

バイエルンはドイツ南部に位置し、北ドイツ連邦には含まれない地域。

 

プロイセン=フランス戦争に関する記述として、誤りを含むものはどれか。

a スペイン王位継承問題を機に起こった。

b 南ドイツ諸邦はプロイセン側についた。

c 戦争の結果、ドイツはアルザス・ロレーヌを獲得した。

d 戦争終結後、フランスで臨時国防政府が成立した。

解説 誤りはd

臨時国防政府は、フランスのナポレオン3世プロイセン=フランス戦争でプロイセンの捕虜となった事でフランス第二帝政崩壊後、パリに成立した政府。この時点ではプロイセン=フランス戦争は継続されている。この戦争後に成立したのがティエールを行政長官とする臨時政府。

 

ドイツ帝国に関する記述として、誤りを含むものはどれか。

a 諸邦と自由都市からなる連邦制をとった。

b プロイセン王が皇帝位を世襲した。

c 帝国議会連邦参議院の二院制議会が置かれた。

d 帝国宰相は議会に責任を負った。 

解説 誤りはd

ドイツ帝国は22君主国、3自由市、アルザス・ロレーヌの直轄地から構成され、国王が皇帝を、首相が帝国宰相を兼ねて、帝国宰相は議会ではなく皇帝にのみ責任を負った。帝国議会ドイツ帝国内の25歳以上の男性普通選挙で選ばれた国民代表議会で、連邦参議院ドイツ帝国を構成する君主国と都市国家の代表から構成された議会。

 

以上です。