はい、どうもです。
ここでは過去問の解説を大問ごとにまとめております。
今回は
2020年度 関西学院大学 個別日程(経済・人間福祉・国際)
世界史 大問Ⅳ ラテンアメリカ諸国の独立
の解説を行います。それでは見ていきましょう。
大問Ⅳ ラテンアメリカ諸国の独立
①アメリカ独立革命に関する記述として、誤りを含むものはどれか。
a フランスは植民地側に立って参戦したため、財政が圧迫された。
b 最初の大陸会議の後、ボストン茶会事件が発生し、イギリスはボストン港を閉鎖した。
c フランスの自由主義者であったラ=ファイエットは、義勇兵として参加した。
d 植民地側はヨークタウンの戦いでイギリスに対して決定的な勝利をおさめた。
解説 誤りはb
第1回大陸会議(1774)はボストン茶会事件(1773)に対する本国の弾圧政策の撤廃を求めて開かれた。
なお、第2回大陸会議は1775年から開かれワシントンを植民地軍の司令官に任命した。
義勇軍の代表としてはラ=ファイエットの他に、ポーランドのコシューシコ(コシチューシコ)がいる。
②19世紀前半に独立した国家でないのはどれか。
a プエルトリコ
b エクアドル
c ドミニカ
d ボリビア
解説 19世紀前半に独立した国家でないのはa
アメリカ=スペイン戦争(米西戦争)(1898)でアメリカが勝利し、戦後フィリピン・グアム・プエルトリコがアメリカ合衆国領とした。少し難しいだろう。
➂アメリカの奴隷制に関する記述として、誤りを含むものはどれか。
a カンザス・ネブラスカ両準州では、奴隷州となるかどうかは住民の選択にゆだねられた。
b 輸出用の綿花やタバコが生産された南部諸州では、保護貿易と奴隷制が求められた。
c ストウは『アンクル=トムの小屋』を著し、奴隷制を批判した。
d 南北戦争後、解放された奴隷の多くはシェアクロッパーとなった。
解説 誤りはb
北部は商工業が発達し、保護貿易政策と連邦主義(中央政府の権力を重視する立場)をとなえ、奴隷制には反対の立場をとった。南部は奴隷制プランテーションによるたばこや綿花などの産業が中心のため、奴隷制に賛成の立場をとり、自由貿易と州県政治(州の政府の権限や自治を重視する立場)をとなえた。
ミズーリ協定(1820)は、新州は北緯36度30分以北を自由州、以南を奴隷州と定めた。カンザス・ネブラスカ法(1854)は新州における奴隷制の可否を住民の決定に委ねた法律。
④大コロンビア共和国に含まれるものはどれか。
a チリ
b アルゼンチン
c ベネズエラ
d ウルグアイ
解説 含まれるのはc
大コロンビア共和国は、1819年にシモン=ボリバルがコロンビア・ベネズエラ・エクアドルを合わせて樹立された。1830年に解体され、3国それぞれ分離・独立する。
チリはサン=マルティンによる解放後、1818年にスペインから独立を宣言した。アルゼンチンは1816年にスペインから独立した。
⑤プランテーションに関する記述として、誤りを含むものはどれか。
a 西アフリカで買い付けられた奴隷は、アメリカのプランテーションに転売された。
b フランスの支配下にあったジャワ島では、コーヒーのプランテーションが経営された。
c 王立フィリピン会社は、スペイン領ルソン島のプランテーション生産物を販売した。
d マレー半島では、自動車生産と結びついて、ゴムのプランテーションが開発された。
解説 誤りはb
ジャワ島を支配下に置いていたのはオランダ。
大西洋の三角貿易では、西ヨーロッパから武器・綿織物、西アフリカから黒人奴隷、南北アメリカ大陸やカリブ地域から砂糖や綿花などが輸出された。
⑥ラテンアメリカ諸国に関する記述として、誤りを含むものはどれか。
a メキシコでは、カルデナス政権が土地改革や外国石油企業の国有化を進めた。
b アルゼンチンでは、軍部によるクーデタによって、ピノチェト政権が誕生した。
c ブラジルでは、ヴァルガス政権が労働者の福祉増進策を採用した。
解説 誤りはb
ピノチェトは、アジェンデ政権をクーデタで打倒してチリの大統領となった。アルゼンチンで覚えておく必要がある大統領は、ペロン。
⑦アメリカ合衆国大統領に関する記述として、誤りを含むものはどれか。
a トマス=ジェファソンは、連邦政府の権限の強化を主張する連邦派であった。
b モンローは、ヨーロッパとアメリカの相互不干渉を唱えた。
c 西部出身であるジャクソンは、スポイルズ=システムを導入した。
d 共和党のリンカンは、ホームステッド法で西部開拓者に土地の無償供与を約束した。
解説 誤りはa
トマス=ジェファソンはアメリカ第3代目の大統領。アメリカ独立宣言の起草者の中心として貢献したあと、州権派(反連邦派)の候補として大統領に当選した。なお、フランスからルイジアナを購入した時のアメリカ大統領はジェファソン。
第5代目大統領モンローは、モンロー教書(1823)でアメリカ大陸とヨーロッパ諸国との相互不干渉をとなえた。
西部出身初の第7代大統領であるジャクソンは、大統領選挙に勝利した党陣営が上級公務員職を総取りできるスポイルズ=システムを導入した。また先住民強制移住法(1830)を制定した。
ホームステッド法(1862)は、第16代目大統領リンカンによって制定された。この法律で5年間耕作した人に、160エーカー(65ヘクタール)の土地を無償で与えた。
以上です。