世界史過去問解説(2020年度 関西学院大学 個別日程(社会・法) 大問Ⅰ 国土回復運動)

はい、どうもです。

 

ここでは過去問の解説を大問ごとにまとめております。

 

今回は

2020年度 関西学院大学 個別日程(文)    

世界史 大問Ⅰ 国土回復運動

の解説を行います。それでは見ていきましょう。

 

 

 

大問Ⅰ 国土回復運動

①ヨーロッパでの農業と商業に関する記述として、誤りを含むものはどれか。

a フランスに創設されたシトー修道会は、大開墾時代を主導した。

b 重量有輪犂による耕作がイタリアを中心に始まった。

c オランダでは風車が建設され、大規模な干拓が行われた。

d フランスのシャンパーニュ地方で大市が開催された。

解説 誤りはb

重量有輪犂は、アルプス以北の重い土壌を深く耕すために作られた大型農具で、イタリアではない。

修道院の代表は

・ベネティクト修道会

イタリアの修道者のベネティクトゥスがイタリア南部のモンテ=カシノに創設し、「清貧・純潔・服従」を基本理念とする戒律があり、「祈り、働け」をモットーにした。

・シトー修道会

フランスのブルゴーニュ地方のシトーに創設され、清貧と労働を重んじ、代表的な改革者としてベルナルドゥスがいる。

・フランチェスコ修道会

イタリアのフランチェスコが中部イタリアのアッシジに創設した托鉢修道会

ドミニコ修道会

スペインのドミニコが、南フランスでアルビジョワ派(カタリ派)の改宗に尽力したのち、フランス南部のトゥールーズに創設した托鉢修道会

 

②古代のイベリア半島に関する記述として、誤りを含むものはどれか。

a ギリシア人による植民活動はこの地域に及ばなかった。

b ハンニバルはこの地域からローマを目指して出征した。

c ストラボンの『地理誌』にはこの地域の地誌が含まれている。

d この地域出身のトラヤヌス帝はダキアを属州とした。

解説 誤りはa

イベリア半島は現在のスペインあたり。ギリシア人の植民活動はイベリア半島にも及んだが、この確認は教科書などに記載されている地図を見て、領域を確認すると良いだろう。イベリア半島の南東部にへメロスコビウムを建設した。

トラヤヌス帝は帝政ローマ五賢帝時代(ネルウァトラヤヌスハドリアヌス→アントニヌス=ピウス→マルクス=アウレリウス=アントニヌスの5人の皇帝)の2人目の皇帝で初の属州(スペイン)出身の皇帝。ローマ領土が最大となった時代の皇帝でもある。ダキアは現在のルーマニア

 

➂東欧への植民活動に関する記述として、誤りを含むものはどれか。

a ブランデンブルク辺境伯領は、エルベ川からオーデル川にいたる領域に建てられた。

bドイツ騎士団領は、ヴィッテンベルクを中心とする内陸部に建てられた。 

c ポーランドのカジミェシュ大王が、ドイツ騎士団の入植を奨励した。

d 入植地では後に、農民への賦役労働を強化する農場領主制が広まった。

解説 誤りはb

ドイツ騎士団領は、ドイツ騎士団が13世紀にバルト海沿岸部に建てた領地である。後にホーエンツォレルン家によってプロイセン公国と名乗る。

 

④中世ヨーロッパの異端に関する記述として、誤りを含むものはどれか。

a オクスフォード大学教授のウィクリフは、カトリック教会を批判した。

b ジョルダーノ=ブルーノはラテラノ公会議において異端宣告を受けた。

c 南フランスにアルビジョワ十字軍が派遣された。

d ベーメン神学者フスはコンスタンツ公会議において異端として処刑された。

解説 誤りはb

ジョルダーノ=ブルーノは地動説を主張し、宗教裁判で異端とされ1600年に火刑になったが、ラテラノ公会議はジョルダーノ=ブルーノが処刑された以前の出来事。なお、ラテラノ公会議は合計5回開催されたが、代表的なのはインノケンティウス3世が主催した第4回ラテラノ会議(1215)。
このあたりは教科書で見た時にページが離れているため、リンクしていないという感覚を掴めるかどうかである。

 

⑤十字軍に関する記述として、誤りを含むものはどれか。

a 聖地への巡礼者の保護を目的に、宗教騎士団が設立された。

b 第3回十字軍において初めてイギリス国王が参加した。

c インノケンティウス3世は第4回十字軍を提唱した。

d フランス王ルイ9世ファーティマ朝と戦った。

解説 誤りはd

フランス王ルイ9世は第6回十字軍と第7回十字軍に参加したが、この時戦ったイスラーム勢力はマムルーク朝である。ルイ9世はこの第7回十字軍においてチュニスで病死。

宗教騎士団はヨハネ騎士団(第1回十字軍で結成)・テンプル騎士団ドイツ騎士団(第3回十字軍で結成)である。

第3回十字軍は最大規模の十字軍であり、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世、フランス王フィリップ2世、イギリス王リチャード1世が参加した。

 

⑥西ゴート人と西ゴート王国に関する記述として、誤りを含むものはどれか。

a フン人の攻撃を受けてドナウ川を渡ってローマ帝国内に侵入した。

b アラリック王のもとでローマを略奪した。

c フランク王クローヴィスに敗れ、都をトレドに移した。

d フン人の支配を脱したのち、テオドリック大王のもとで発展した。

解説 誤りはd

テオドリック王のもとで発展したのは東ゴート王国東ゴート王国は、ラヴェンナを都にイタリアに建国されたが、ビザンツ皇帝にユスティニアヌス帝により滅ぼされた。西ゴート王国は、アラリック王のもとでイベリア半島に建国されたゲルマン人国家で、後半は都をトレドに置いたが、ウマイヤ朝に滅ぼされた。

 

アラゴン王国に関する記述として、誤りを含むものはどれか。

a サラゴサを首都とした。

b 地中海に進出し、シチリア島を支配した。

c 「カトリック両王」の一人、フェルナンドを出した。

d 地中海に面するナバラ王国を併合した。

解説 誤りはd

ナバラ王国イベリア半島東北部で大西洋に位置した王国であるが難しかっただろう。

カスティリャ王国の女王イサベルと、アラゴン王国の王子フェルナンドが結婚し、後に合併しスペイン王国が成立したが、この辺りの流れや地図を教科書で確認しておくと良いだろう。

 

ナスル朝に関する記述として、誤りを含むものはどれか。

a 首都はグラナダに置かれた。

b アルハンブラ宮殿はスペイン=イスラーム建築の代表作とされる。

c 北アフリカイドリース朝と交易を行った。

d 歴史家のイブン=ハルドゥーンはこの王朝に仕えた。

解説 誤りはc

ナスル朝は1232年~1492年に成立した王朝であるが、イドリース朝は789年~926年にモロッコで成立していた王朝であるため、時代が合わない。このあたりも教科書で見た時にページが離れているため、リンクしていないという感覚を掴めるかどうかである。

ナスル朝イベリア半島最後のイスラーム政権であり、イベリア半島南部アンダルス(アンダルシア)地方のグラナダを首都にした。またこの王朝の時代にアルハンブラ宮殿が建築された。

 

以上です。