【大学受験体験記】自分自身の大学受験時についての振り返り(浪人生編)

はい、どうもです。

 

仕事柄、自分自身の大学受験の事を話す機会が多いのですが、その時に話す内容を色々と共有することが出来ればと思い、今回記事にしました。
(誰得やねん、と思われるのは承知の上です。)

 

さて今回は自分自身の大学受験の振り返りの浪人生編となります。

 

ほな、書いていきましょう。

 

 

 


(1) 浪人時代の幕開け

甲南大学生になるのが良いのか?

それとも自分の志望校であった関西学院大学を受験するために、浪人をするか?

を最後まで迷っていました。

 

普通に考えたら、多分ほとんどの人は大学生になる事を選ぶと思います。

 

ただ結果的に4月、私は晴れて「大学生」ではなく「浪人生」として春を迎えることになりました。

 

ここで終わっていたと思うのでこの続きからとなります。

 

 

 

 

(2) 早速塾探しをすることに

宅浪という選択肢は無かったので、塾を探すところから始めました。

 

確か新聞の広告に入っていたとある塾のチラシを見つけて、電話で説明会への参加申し込みをして、入塾説明会を聞きに行って入塾しました。

 

入塾したのはいわゆる普通の浪人生が通うような 東進衛星予備校とか駿台とか代々木ゼミナールであるとか河合塾といった大手予備校ではなく、普通の塾に通うことになりました。

 


なぜ大手に行かなかったのか?

 

 

端的に言えば、お月謝が安かった、それにつきます。

 

あとは、予習無しの授業で復習重視であったり、ランキング制度もあり自分自身が勉強していく上で最低限の環境は整っていると感じたので、その塾にした記憶があります。

 

勉強というのは自分でやらなければいけないと思っていたし、特に浪人生という事もあり、徹底的に勉強をしたかったので選んだような気がします。

 

 

さて塾も選び、「浪人生時代」の幕開けとなります。

 

 

 

 

(3) 浪人生活がスタートしたが。。。

さて4月に入塾して、

「浪人したから最初からゴリゴリ勉強してたんだよね?」

と思われている人も多いかもしれません。最初はほとんど勉強していなかったような気がします。

 

 

4月・5月あたりはまだ私自身、浪人生としての自覚が無く、勉強に集中していなかったのでは無いかと当時を振り返って思います。本当にフラフラしていたと思います。

 

 

 

 

(4) 浪人生としての意識が変わった6月

浪人生としての意識が変わったのは、6月に入る前くらいだったと思います。

 

通っていた塾では、毎週ランキングというものがありました。

 

これは、毎週行われる実力テスト・復習テストの点数を最新3週分の合計点数を出してランキング化する制度です。これは、勉強するときのモチベーションに繋がっていました。

 

なぜ、6月に勉強の認識が変わったかというと、浪人生クラスはこの当時AクラスとBクラスがあり、このランキングに沿って、復習テストの点数に課題のある生徒をBクラスにするというクラス編成を行っていました。

 

そのBクラスに私が入ってしまったのです。

 

言い換えれば、ほとんど勉強もせずフラフラしていたので復習テストも点数を取ることが出来ないという状況で、AクラスからBクラスに落ちてしまったという事です。
 

 

これには自分自身ものすごく焦りました。

 

この6月でBクラスを抜けるために勉強をしました。

 

ある意味、勉強のやる気スイッチがこの段階で入ったという感じです。
 

 

さて6月末、復習テストも点数が取れ始めたので、またAクラスへ戻って授業を受ける事になりました。
 

ランキング制度があることで、勉強に対するモチベ―ションに繋がったと思います。

 

 

 


(5) 全国ランキングを意識し、点数が取れ始めた7月~10月

さてAクラスへ戻って授業を受け続けていたわけですが、明らかに実力テストなどの点数が良くなってきました。

 

これは、復習テストももちろんですが、月に1回ある英単熟語一斉テストや文法構文テストで塾の基準点を軽くクリアして、順調に勉強を続けることが出来ていたからだと思っています。

 

この点数をクリアすることで、着実に英語の実力を上げていくことが出来ました。

 

10月くらいには全国ランキング上位に名前を載せることが出来る様になってきていました。

 

浪人生として4月から勉強を始めて半年経った段階で実力が上がったなと実感できました。

 

 

 


(6) 11月のとある模試で偏差値70を超える

11月に入ってとある塾が開催していた「関関同立模試」を受けに行きました。

 

受ける母体が主に関関同立志願者で構成されているため、より正確な点数や偏差値が出やすい模試となっています。

 

この模試で、英語と世界史の偏差値が70を少し超えることが出来ました。

 

この偏差値70というのは、現役生の時にはとてもではありませんが考えられない数字でした。
 

となると、勉強はここまで順調に行っているわけですから、後は志望校の過去問を解きまくって、徹底的に対策をするのみとなります。

 

 


(7) 赤本(過去問)を詰める12月

赤本を詰める12月とは書いていますが、すでに10月末から少しずつ解いてはいました。
 
 
12月に入って本格的に過去問を解く必要があった為
解いては見直し、復習を進めていきました。
さて、クリスマス・年末年始と世間はお祭りムードでは
ありましたが、そんなものは受験生、特に
浪人生には関係ないぞという気持ちで過ごし
いよいよ私立入試、スタートとなりました。

 

 


(8) 2月、私立入試開幕

1月に行われるセンター試験(現:共通試験は受験しませんでした。なぜなら私立大学のみ受験する私にとって当時のセンター試験を受けるメリットが全くなかったからです。

 

これは戦略です。受験する必要もない、対策も一切していない試験をわざわざ受けに行って変な点数を取って落ち込んだり、風邪やインフルエンザを移されたら、それこそ本命とする2月の私立入試を万全の状態で受験することが出来ないと考えていました。

 

なのでこの日は家でゆっくりしておりました。
 

 

さて、2月1日からいよいよ私立大学の入試が始まりました。

第1志望を同志社大学

第2志望を関西学院大学

に設定して受験をしました。
 

 

滑り止め大学を受けることはありませんでした。

 

 

今思えば相当リスキーなことをしていたなと思いますが、現役生の時に合格していた大学をわざわざ受けに行く必要はないと当時は考えていたので、この背水の陣の戦略を取りました。
 
全日程が終了した時の爽快感・達成感は今でも覚えています。

 

結果としては同志社大学の経済学部に合格したため、これで浪人生活は終わりました。

 

 

 

(8) 最後にこれを読んでいる皆様へ

さて、どうでしたでしょうか?

 

浪人生時代を思い返しながら文字を打ち込んでいましたが、浪人生時代に戻りたいかと言われれば、「二度と戻りたくない」と答えます(笑)

 

それくらいこの1年は大変だったなと今思い返してもそう感じます。

 


以上です。