【大学受験体験記】自分自身の大学受験時についての振り返り(現役生編)

はい、どうもです。

 

仕事柄、自分自身の大学受験の事を話す機会が多いのですが、その時に話す内容を色々と共有することが出来ればと思い、今回記事にしました。

(誰得やねん、と思われるのは承知の上です。)

 

はい、ほな書いていきましょうか。

 

 

 

(1)「とりあえず甲南大学へ行きたい」だった高校時代

中学3年生の2学期の3者面談で、色々あって内申点を下げられてしまった私は、神戸の第一学区の当時の偏差値50切るくらいの高校へ入学することになりました。

 

 

要は、「不本意な」高校入試の結果になりました。

 

 

この高校へ入学した時点で考えていたことは、「甲南大学へ行く」ということでした。

 

 

これは親戚に甲南大学出身の人や、甲南大学生の人がいたので色々話を聞いた結果、とりあえず志望校として設定しておりました。

 

不本意な高校入試でしたが、私にとっては高校の先生はめちゃめちゃ良い先生が多かった記憶があります。

 

部活動は、中学校の時に所属していた「やきう部」は辞めて、新しく陸上競技部に所属することになりました。

 

 

 

 


(2) 指定校推薦で甲南大学へ行くことを決意した高校1年生の秋

高校1年生の夏休みも明けて、部活の先輩方にある資料を見せてもらいました。それが指定校推薦で行くことが出来る大学と、そのための最低の評点が書いている紙でした。

 

あくまで最低の評点であり、校内推薦のため、より高い内申点を取る必要がありました。その当時、私の高校から甲南大学に指定校推薦に行くためには最低でも5段階で3.8以上を取る必要がありました。

 

内申点を取るためには中間テストや期末テストを頑張る必要があった為、定期テストもそこそこ頑張っていたような気がします。

 

 

 

ただ、それ以上に頑張っていた理由は大学への学費を手に入れるためですね。

 

 

 

奨学金制度を使って行くことを計画しており、これにも内申点が必要だったので。大学へ進学するためには、そこそこ頑張らないといけない状況におりました。

 

 

 

 


(3)「指定校推薦で甲南大学」が変わった高3の夏休み

1年生から2年生までは部活動中心の高校生活を送っていました。定期テストは直前のみ対策をするだけでした。

 

ただ、高校3年生になったので

「そろそろ大学受験のことを意識していかなければな」

と考えていました。

 

 

高校3年生前期(単位制の高校のため学期制ではなく前期後期制)の時点で、内申点はとりあえず甲南大学へは指定校推薦で合格できそうな評点は取っていました。

 

 

担任の先生にも確認を取って、去年のデータと照らし合わせると合格しそうだと、そういう風な感じだったと思います。

 

 

ただ、その当時大学入試のことはあまりよく分かっておらず、指定校推薦も受かる保証は無かったので、夏休みから高校受験の時にお世話になっていた某大手個別塾の夏期講習の英語だけ受講することになりました。

 

その時に担当してもらっていた講師の方が関西学院大学生でした。

 

その人からいろいろ話を伺っていたり、またその人に勧められて、8月に関西学院大学オープンキャンパスへ参加して、「関西学院大学へ行きたいな」と思うようになりました。

 

この高校3年生の夏休みが、自分にとって1つ目の大学受験のターニングポイントになりました。

 

 

 

 

(4)夏休み明けていよいよ指定校推薦の開示、だが...

さてそんな夏休みも明けて、私の志望校は「甲南大学関西学院大学」へ変更となりました。

 

夏休みに関西学院大学オープンキャンパスへ参加したり、個別塾で勉強しているうちに、自然と視点が変わっていきました。

 

とりあえず指定校推薦は関西学院大学に出してみよう、そんなことを考えておりました。

 

9月に入ると、いよいよ指定校推薦の開示が行われます。開示された資料を見て、焦りました。

 

なんと、

関西学院大学からの指定校推薦枠が無かった」のです。

 

 

どういうことかというと、関西学院大学から当時私の高校へ指定校推薦の枠の振り分けが無かったのです。(ちなみに今はあるようです。私も含めですが、後輩たちが頑張って指定校推薦枠を取ってきています。ありがたい話だと思います。当時は立命館大学関西大学は来ていましたが、関西学院大学同志社大学からは来ていませんでした。)

 

 


ここで迷いました。

 

 

 

夏休みに関西学院大学へ指定校推薦で行こうと思ったが、その枠が来なかったこと。

 

最初は指定校推薦で甲南大学へ行くという目標を立てていて、実際に自分が持っている評点を参考にしたら推薦は貰えそうだということ。

 

指定校推薦はそこで決まったら、それ以降すべて受験はできないこと。

 

さてどうしようか?と迷った結果、結局、「2月の一般入試で関西学院大学への合格を目指す」ことにしました。

 

これが3年生の9月でした。ここが大学受験の第2のターニングポイントだったと思います。

 

ここから残り4ヵ月、毎日必死に勉強していました。普通高校3年生の9月というと、部活動は引退しているのがほとんどだと思いますが、私は10月の駅伝競走大会の地区予選へ向けてまだ部活をしていたので、それ以外の時間は必ず勉強するようにはしていました。

 

駅伝大会も10月で終わり、部活動引退。いよいよ大学入試へ向けて、ラストスパートをかけて追い込んでいきました。

 

 

 

 

(4) 結果は結局「最初に自分が思っていた大学」へ合格

一般入試が2月から始まりました。受験した大学は甲南大学と、関西学院大学でした。結果だけお伝えすれば、

 

関西学院大学は「不合格」、甲南大学は「合格」でした。

 

なのでこのままであれば、甲南大学生、つまり現役で大学生になっていたと思います。

 

 

さて、ここで迷いました。

 

甲南大学生になるのが良いのか?それとも自分の志望校であった関西学院大学を受験するために、蹴って浪人をするか?

 

普通に考えたら、多分ほとんどの人は大学生になる事を選ぶと思います。

 

ただ、私はのちに1年間「浪人」という選択肢を選ぶことになっています。

 

つまり、大学生になるという選択をこの時点では取らなかったということです。

 

ここが現役生の時の大学入試の第3のターニングポイントだったと思います。

 

2013年4月、私は晴れて「大学生」ではなく「浪人生」として春を迎えることになりました。

 

 

と書いていたら、結構な分量になってしまったので、ここで終わりにしたいと思います。

 


次回は浪人生編を書いていこうと思います。

 


以上です。