- (1)そもそも英仏植民地戦争(第2次英仏百年戦争)とは?
- (2)ファルツ継承戦争(アウクスブルク同盟戦争)(1688~1697)
- (3)スペイン継承戦争(1701~1713)
- (4)オーストリア継承戦争(1740~1748)
- (5)七年戦争(1756~1763)
- (6)その他
はい、どうもです。
ここでは、定期テストや大学受験で出題されるであろう内容をまとめております。
今回は「英仏植民地戦争(第2次英仏百年戦争)」編です。それでは見ていきましょう。
(1)そもそも英仏植民地戦争(第2次英仏百年戦争)とは?
1689年~1815年にイギリスとフランスが展開した植民地争奪戦。ヨーロッパでの戦争に呼応し、北アメリカやインドで戦いが行われた。
(2)ファルツ継承戦争(アウクスブルク同盟戦争)(1688~1697)
①原因
フランスのルイ14世が神聖ローマ帝国のファルツ選帝侯の領土継承権を主張して起こした。
②北米ではウィリアム王戦争(1689~1697)が並行して行われる
③条約:ライスワイク条約(1697)→成果なし
(3)スペイン継承戦争(1701~1713)
①原因
スペイン王女が妃であるルイ14世が孫をフェリペ5世としてスペイン王位につけたため、オーストリアがイギリス・オランダ・プロイセンなどと結んで引き起こした
②北米ではアン女王戦争(1702~1713)が並行して行われる
③ユトレヒト条約(1713)
・フランスとスペインが合併しないことを条件に、フェリペ5世のスペイン王位継承が認められる
・イギリスはスペインから、ジブラルタル・ミノルカ島を獲得
・イギリスはフランスから、アカディア・ニューファンドランド・ハドソン湾を獲得
④ラシュタット条約(1714)
・神聖ローマ帝国(カール6世)と結んだ条約
・オーストリアは南ネーデルラント・ミラノ・ナポリ・サルデーニャを獲得
・バイエルン選帝侯のマクシミリアン2世の復帰
(4)オーストリア継承戦争(1740~1748)
①原因
マリア=テレジアのハプスブルク家全領土継承にバイエルン選帝侯などが抗議し、プロイセンがこれに乗じてシュレジエンを占領
②対立構造
プロイセン-バイエルン・ザクセン・フランス・スペイン
vs
オーストリア-イギリス
③北米では、イギリスとフランス間でジョージ王戦争(1744~1748)が並行して行われる
④アーヘン和約(1748)
・プロイセンの勝利に終わる
・マリア=テレジアのハプスブルク家領土継承を確認
・プロイセンはシュレジエンを獲得
(5)七年戦争(1756~1763)
①原因
シュレジエン奪還を目指すオーストリアとプロイセンとの戦い
②対立構造
オーストリア-フランス(「外交革命])・スペイン・ロシア
vs
プロイセン-イギリス
③北米では、イギリスとフランス間でフレンチ=インディアン戦争(1754~1763)が並行して行われる
④フベルトゥスブルク条約(1763)
・プロイセンはシュレジエン領有を守った
⑤パリ条約(1763)
・イギリスはフランスから、カナダ・ミシシッピ川以東のルイジアナ・セネガル・西インド諸島の一部を獲得
・イギリスはスペインから、フロリダを獲得
・スペインはフランスから、ミシシッピ川以西のルイジアナを獲得
(6)その他
ヨーロッパ大陸や北米の他に、インドでも呼応して行われた戦いの紹介
①カーナティック戦争(1744~1763)
・3回にわたってイギリス・フランス間で行われたインド争奪戦
・オーストリア継承戦争(北米ではジョージ王戦争)と七年戦争(北米ではフレンチ=インディアン戦争)と並行して行われる
・当初は、フランス人インド総督デュプレクスの活躍によりイギリスを圧倒したが、結果的にイギリスが勝利し、南インドでの覇権を確立
②プラッシーの戦い(1757)
・イギリス東インド会社軍(クライヴの活躍)が、インドのベンガル太守(フランス支援)を破った戦い
・七年戦争(北米ではフレンチ=インディアン戦争)と並行して行われる
・イギリスの圧勝により、インド支配における優位性を確立し、ベンガル太守を傀儡化
以上です。